有田焼が確立されたその約40年後に柿右衛門様式は1660年代から頃から生産が始まったとされています。
元々、1640年代頃から伊万里焼が伊万里港を通じて東南アジアを中心とした貿易で輸出されていました。
1970年代頃からヨーロッパを中心としたリクエストに応えるため柿右衛門様式が確立されました。
柿右衛門様式の特徴は乳白色の地肌、いわゆる「濁手」に赤絵を中心とした色絵に黄、緑、青、金などが用いられています。
日本的な花鳥図等を非対称で描き、広い余白を残した絵画的な構図が特徴です。作家物は「濁手」と呼ばれ美術品としての花瓶や皿、香炉などが作られています。
濁し手には釉薬の性質上、作品の裏に銘はありません。
一方で窯物は「錦手」と呼ばれ、伝統的製法による量産向きの食器が多くあり、裏には染付けで“柿右衛門”と銘があります。
1970年代に確立された柿右衛門窯ですが、実は今日の柿右衛門のような様式ではありませんでした。
その頃は染付けを中心とした伊万里様式を元に、景徳鎮窯の図柄いわゆる中国絵画に影響を受けていました。
初代柿右衛門は試行錯誤の末、赤絵の技に成功。ヨーロッパからの日本的な陶磁器のリクエストに応え、人気が広まったとされています。